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池田和弘のブログです。

日常の出来事から英語の新たな発見などをお伝えいたします。

海外留学の威力

2014年7月17日

年間約200億円のもんじゅの維持費を教育へ回すだけで、日本はより活性化する

私自身には海外留学(study abroad)の経験は無い

 

―――いや、「無いようにした」、というべきかも知れない。

 

「無いようにした」というのは、簡単にいうと、

日本国内でどこまでいけるかを試したいと思ったのである。

 

海外に行って数年も住めば英語がうまくなることは目に見えていた。

(これが、そう簡単な話でないことを後で知るわけだが・・・)

 

いずれにせよ、ひとりぐらい、

国内で学習方法を模索する人間がいても良いだろうと考えたのである。

 

海外に行かないと分からないこともたくさんあるだろうが、

国内で勉強しないと分からないことも多々あるはずだ。

何より、(当時だけでなく今でも)日本人のほとんどは国内で英語を学習する。

 

さて、結論から先に言ってしまうと、

中学生から高校生にかけて2~3年程度の海外経験があると、

その生徒は英語にかんして「圧倒的」に有利になる。

 

2~3年程度海外にいたところで、

理科や社会などの知識自体の差異はそれほど出ないので、

これらの生徒は、日本語も英語もできるようになる。

 

彼らの英語力を、国内で(ガリガリ)勉強した生徒と比べると、

「てんでお話しにもならない」。

 

元より会話力には“雲泥の差”があるとして、ライティング力においても、

じつに高品質の、「世界に通じる英文」を書いてのける。

単なる「単語の切り張り」に近い受験英語とは比較にならない。

 

さらに、見逃せないのが、「人的ネットワーク」である。

 

たとえば、研究やその他のことで何かに困ると、彼らは国境を越え、

気楽にスマホ(smart phone)でコミュニケーションを取り合う。

 

私が、この、「圧倒的な差」を目の当たりにしたのが、

大阪大学の工学研究科においてであった。

 

日本で“英語の特訓”を受けた俊英たちが、彼らにまったく歯が立たない。

 

“純ニッポン組み”が、プレゼンなどで発音も怪しく、

ロクに質疑応答もできないというのに、海外で学んだ学生たちは見事な応答をするばかりか、

その後の「懇親会」(じつは、日本人はこれをもっとも恐れる)でもじつに社交的に、

積極的に情報交換を行う。

 

「言葉の障壁」(language barrier)というものがなく、すべてがシームレスに流れる。

実際、私がその当時知り合った学生は、その英語力を遺憾なく発揮し、

激しい競争を潜り抜け、立派な業績を残して、専任教員となり、その後、准教授になった。

 

彼は、確かに頭も良かったし、性格も良かったが、

やはり私には、日常会話から専門英語まで、

母語並みの流暢さで軽快に英語を使いこなす彼の姿と、

それとは対照的に英語に四苦八苦するクラスメートたちの“格差”が忘れられない。

 

もし、あなた(またはあなたの子息)が、今中学・高校生で、

グローバルに活躍したいと思うのなら、即、海外に留学することを薦める。

 

国策としても、たいした効果もない学習方法をヨタヨタと研究するよりも、

優れた資質を持つ生徒を海外に送り込むプロジェクトを手厚く充実させるべきではないだろうか。

 

そして、彼らが帰国後、普通に上位の国公立・私立に進学できるルートを作り、

さらには(やや閉鎖的な)日本の企業において、

その能力を発揮できるチャンスを与えてやるべきだと思う。

 

たとえば、これは素人の発想であろうが、

1995年に致命的な事故を起こしそのまま再開の目途が立たず、

20年間にわたって毎年200億円前後もの予算を浪費している

高速増殖炉「もんじゅ」(Fast Breeder Reactor)の予算を振り向けるだけで、

相当な“違い”をこの国に生み出すことが出来ていたのでは?とつい夢想してしまう。

 

20年間にわたって200億前後ということは、これだけで4000億の浪費。

日本の将来を担う俊英たち、何と4万人に、1000万円の支援ができたということになる。

もちろん、後で返せなどと言う、ケチな条件は無しだ。

 

彼らの活躍は、「もんじゅ」に注ぎ込むよりもはるかに有意義で

スケールの大きい雇用を生み出したことだろう。

 

この国には、本当に勤勉で能力の高い人材が多数いると思う。

彼らの潜在力を最大限に引き出せる環境を整えることが、

今もっとも重要な課題であるように思う。

 

3か月でTOEIC400点台から600点台へ (TOEIC最強の学習法)

2014年7月9日

TOEIC最強の学習がエリフェットで3ヵ月集中クラスに

私は、3か月で結果を出せる、TOEICの短期集中システムを開発しています。

このシステムは、私がアドバイザーをしているある英会話スクールと共同で開発したものですが、

その威力は凄まじく、すでに400点台のスコアをマークしている人なら、

3か月で600点台まで押し上げることができます。

 

半年のスパンで見ると、425点から710点まで伸びた人もいます。

世の中には、400台をなかなか抜け出せずに色々と試行錯誤している人がたくさんいますが、

このシステムで学べば、迷うことなく、最短期間で600点台を突破し、

さらにつぎのレベルへの基礎力もつけることができます。

 

もちろん、設計コンセプトは「学習者にやさしい」で、もっとも人間の脳の働きにあった

合理的な方法で(苦痛なく)スコアを上げることができるように設計されています。

一般の教材とはまったく異なる内容となっており、教材を見て戸惑う人もいますが、

素直にインストラクションにしたがって学習していただけると、ストレートに成果が出るように作られています。

 

じつは、現在、このシステムをさらに強化する技術を組み入れようとしており、

これが実装されると、おそらく「最強のTOEIC学習システム」になると考えています。

もちろん、“最強”というのは単に短期間でスコアが上がるという意味ではなく、

それを“気持ち良く”達成できるという意味です。

 

現在のところ、確実に成果を出せる人は400以上のスコアをすでに持っている人達ですが、

近い将来に250程度の人たちを3か月で400台前後に押し上げるシステムを開発する予定です。

これができれば、「ヤル気さえある人ならだれでも成果を出せる」ということになりますので、

なるべく早く実現したいと考えています。

科学誌「ネイチャー」の“驚きの英語”

2014年7月2日

小保方さんがSTAP細胞を投稿した科学雑誌、ネイチャーの英語はどれほど高度なのだろうか?

私はある大学の工学研究科で専門分野の英語
ESP (English for Specific Purposes)を教えていたことがある。

分野はナノフォトニクス(nanophotonics)だった。

ナノフォトニクスというのは、ナノメートル、
つまり原子レベルの世界での光(photon)の性質を研究・応用する学問で、
20世紀末から急速に発達してきた分野である。

私たちは、光はどんどんと直進していくものだと思っている。

実際、私もそう思っていた。

しかし、教材を作るために文献を読み始めて、
自分の理解が完全に「時代遅れ」であることを知った。

ナノレベルでは、「近接場光」(evanescent light)という光があって、
それは直進しない。
つまり、「飛んでいかない光」なのである。

これには強い衝撃を受けた。
まさしく、浦島太郎のような気分であった。

しかし、「英語の先生」として、私が驚いたのは、
実ははこの“新発見”ではなかった。

私を驚愕させたのは、世界的な科学誌「ネイチャー」(Nature)の英語であった。

それがどんな英語だったのか?
――― ひと言でいうと、「下手くそ」だったのである。

こんなことを言ってしまうと、ネイチャーには論文を投稿できなくなるかも知れないが、
どのみち私が科学論文を投稿できる可能性は“ゼロ”に近いので遠慮なく書かせてもらった。

ネイチャーといえば、世界でトップクラスの科学誌で、
投稿される論文はすべて世界の俊英たちによって研究・執筆され、
さらに厳しい審査(査読)を通過したものばかりである。

――― だから、私は思い込んでいた。
当然、その英文は、無駄というものが一切ない、物凄い英文だろうと。

ところが、実際にフタを開けてみると、なんと、驚いたことに、
その英文は書いた人の出身国が分かるぐらいクセのあるものだった。

しばらくは、頭が混乱して「?」マークが浮かんでは消えるような状態だった。
それほど衝撃は大きかった。
しかし、数日たってようやく何が起こっているかを理解でき始めたのである。

実は、その2年ほど前に、私は大学院にいて、
応用言語学(Applied Linguistics)を学んでいたが、
そのとき「国際英語」(International English)という言葉を耳にした。

「国際英語」というのは、簡単にいうと、英語はすでに世界中に広がっており、
それぞれの国の人によって様々な使われ方をしているので、
それらのひとつひとつを「正当な英語」(authentic English)として認めようという考え方である。

日本語に当てはめて考えるなら、「標準語」(standard Japanese)以外の日本語も、
すべて標準語と同様に“正当なる日本語”だと認めよう、ということになる。

――― このように説明すると、その大胆さがお分かりなると思う。

正直なところ、私はこの考え方があまりしっくりこなかった。
今でも少々抵抗感がある。
しかし、厳然たる事実として、そのとき(2000年ごろ)、
世界的な権威をもつ科学誌がすでに「国際英語」を広く認めていたのである。

「文学」ではなく「科学」であったという点も大きいのだろうが、
グローバル化の“パワー爆裂”というか、これには絶句するしかなかった。

――― しかし、この話にはオチがある。

それは・・・

なんと、日本人の研究者の英語は「国際英語」の仲間にも
入れてもらえないレベルだということが判明してしまったのだ。

厳しい受験勉強で鍛錬し、さらに研究者として研鑽を積んで、
優れた論文を書き上げても、そのままでは審査にもかけてもらえない。
――― これが実態である。

実際のところ、日本人の英語にかんしては、
「日本人の研究者は必ずネイティブスピーカーの校閲(proofreading)を受けて下さい」という
“お願い”がネイチャーに記載されたという都市伝説まである始末。

流石に近年は、本格的な海外経験者も増えて事情は変わってきているだろうが、
日本の中・高・大の英語教育の実情をつぶさに知っている者としては、
「果たして、どうなのだろうか・・」と思わずにはいられない。