英語学習史
私、池田和弘の英語学習史を紹介しています。
学習方法や学び方の参考にしていただき、
皆さまへ少しでも貢献できれば幸いです。
なお、以下は参考まで。
【発表】
(1)「『心理軸』の導入による仮定法の視覚的・包括的な指導方法について」(2011) 関西英語教育学会
私が、叙想表現を説明するときに使用する心理・時間座標系について紹介したものである。
この座標系を使うと、いわゆる旧来の文法で「仮定法」と呼ばれているものを含め、
モダリティにかんする表現を統合的にシンプルに理解することができる。
着想は20年ほど前に遡り、大学や予備校などで使用してきた。
※この座標系については、拙著「英語がスラスラわかるようになる魔法の本」においても紹介されている。
(2)「時系列に沿った情報の分散による低負荷の文法指導方略について」(2011) 大学英語教育学会
フォーカス・オン・フォームをシステム的に分散配置することによって、学習者にとって負荷が少なく、
かつ効果的な文法解説を実現する手法について紹介したものである。
【論文】
「Visual Analyses on Modalities with The Temporal-Epistemic Coordinate System」
(2012年3月末日 関西英語教育学会 紀要『英語教育研究』SELT 第35号)
上記発表の(1)について論文化したものである。
2014年4月7日
◆小、中学校時代
小学校時代、私は近所の英会話学校へ1年ほど通ったことがあった。
その当時はこれはたいへん ”モダン” なことであったが、
残念ながら効果はほとんどなかったように思う。
中学校時代は、学校や塾で教えられる通りに勉強しただけであった。
素直に勉強していたので成績は悪くなかったが、英語が一種のパズルのように感じられ、
コミュニケーションの手段という認識はまったくなかった。
◆高校時代
悪夢の時代。
英文法がやたらややこしくなるし、覚えるべき単語、イディオムの量も一気に増える。
私が通った学校は進学校であったが、べつに先生が優れた勉強方法を教えてくれるわけでもなく、
テストばかり押しつけられて途方にくれた。
心の中で古文と英語の勉強が妙に重なった。
こんなに込み入った文法を学ばないと本当に古文や英語は身につかないのだろうかと真剣に悩んだ。
読むことは不完全ながらもなんとかできたが、どうしても ”暗記” というものができず、
「覚えないといけない、覚えないといけない」という焦燥感が「覚えられない!覚えられない!」という強迫観念に変わり、
最後にはもう覚えようとするだけで頭が「金縛り」にあったように動かなくなってしまった。
正しい記憶方法を知らなかったのだから覚えられないのは当然なのだが、そのころはそんなことがわかるはずもなく、
ただニガ~い”敗北感”だけが残った。
ヤル気があるのにデキナイというのはもう想像を絶する苦痛で、これが学習法研究にたいする”執念の鬼火”となる。
◆大学1~2回生
高校時代にイヤというほど苦渋をなめたのに(いや、なめたからこそか?)、どうしても実用英語が気になり、
1回生のころから少しずつ英会話学校に通いだす。
このときの会話体験は強烈だった。
とにかく、簡単な自己紹介さえ満足にできない。
「I born….いやbe bornだからI am bornか。
いやこれは過去形にしないといけないからwas bornだ」などと半分ひとりごとみたいに言いながらゴチャゴチャやって、
頭の中はもう完全にパニック状態。
不気味なのは、それだけ必死になっていたのに、顔だけはニタニタ笑っていたということ。顔の上に”笑う人面疸”ができた。
その当時の私の会話力というのはこの程度、
つまり、ほとんどひと言も話せなかったのである。
では、読む方はどうであったかというと、これについてはさすが受験時代の厳しい訓練のおかげか、
一応タイムなどの国際誌を読むことができた。・・・ということであれば多少は格好がつくのだが、
実際はてんで歯が立たなかった。
”日本人は読む方は得意”のハズだったのだが、
実際には知らない単語が1行に2,3語も出てくるばかりか、いくら辞書で引いても理解できない言い回しまでもが登場し、
3分の1ページぐらいで見事に“撃沈”した。
これ以外にも、会話本やキャッチセールの教材まで買い込んだが、すべて途中で挫折。どれもモノにならなかった。
まったく、このころは高校時代の悪夢の続きを見ているようでロクな経験がない。
正直いって情けなかったが、これで自分の”英語人生”が終わりであるとだけは思いたくなかった。
このころの”挫折の山”を振り返って思うことは、
①どういうものを、
②どのように
③どれだけやれば
④どの程度のレベルに行ける
という具体的な指標がなかったために、
なかなか自分のやっている勉強に自信が持てなかったことがその根本的な原因であったと思う。
つまり、勉強には目標、戦略、戦術の3要素が必要なのだ。これがないと、どうしても方向性を見失ってしまう。
...To be continued
2014年4月6日
◆英検2級に落ちる
3回生になって、方向性も方法論もないいい加減な勉強がどのような悲惨な結果を生むかを思い知らされた。
半分ジョ~ダン(=半分真剣)で英検2級を受けたらコロリと落ちてしまったのである。
そのすべり方があまりにあっけなかったのでしばらくの間は「?」マークだけが頭の上で点滅していた。
皆さんもご存じの通り英検2級といえば高校卒業レベルである。
1級はともかく、2級というと語学オンチの私たちの間でも通ったといううわさ話は比較的よく耳にする。
これに、いかに受験英語出身とはいえ一応はまともに英語を勉強した大学3回生のお兄さんが、なすすべもなくストンと落ちたのだから、
そのショックは容易にご想像していただけると思う。
敗因はなんといってもリスニング
そして英語での質疑応答テストの失敗が大きく響いた。
日常的な表現の知識も不足していた。
ようするにゼ~ンゼン歯が立たなかったのである。
2級ぐらいなら受験時代の”貯金”がモノをいうだろうとタカをくくっていたのだが、
これがそもそもとんでもない思い違いだったのだ。
この”事件”で、さすがに頭の鈍い私も「なんかおかしいゾ」と思いはじめた。
遅まきながら、
ようや受験式の勉強方法では実用英語には通用しないのではないかという疑問がわいてきたのである。
実用英語と受験英語の勉強方法の違いには早く気付いた方がいい!
私の場合にはあまりに遅過ぎた。
◆模索
英検2級に落ちてから勉強方法について真剣に考えるようになった。
それまでの挫折経験からつぎの2つのポイントに気付きはじめていた。
- 分的/固定的な知識じゃダメ。
すべての表現は実際に使われる形、
つまり文の形で覚えていないと実戦ではまったく役に立たない。
いくら問題文のカッコを埋めることができてもだめである。
- 頭だけで覚えた知識もダメ。
ちょうどスポーツ選手が無意識のうちに素晴らしい動きをするように、
口と頭がしっかり連動し、脳ミソが「これを言え」というだけで口が「ヘイ!」と勝手に動いてくれるような状態でないと
絶対に英語は話せない。
いくら「主語が3人称単数のときは・・・」なんてエラそうに言ったって
実戦では何の役にも立たない。
そのときの私には言語習得のメカニズムをこれ以上深く追求することはできなかったが、
このような考察を経て、使えそうな「戦術」がひとつ浮上してきた。
◆音読開眼
私が自らの挫折の山から見い出した「戦術」
それは「音読による例文の暗記」であった。
「な~んだ、そんなことか」皆さんのタメ息が聞こえてきそうである。
しかし、ホネの髄までバリバリの受験生であった当時の私にとってこれは画期的なことだった。
なにしろ、それまでは英語の勉強というのは英文中のカッコを埋める、
あるいは単語を並べ替えるものだと思っていた。
だから、声を出して英文を丸ごと暗記するなんてとてもムダな、
非科学的なことのように思っていたのである(これは多分に誤解”なのであるが・・)。
しかし、実用英語となると話は180度違う。
声も出さずに実用英語をマスターしようというのは、
サメのウヨウヨいる海にマグロの切り身を抱いて飛び込むようなものである。
絶対に生き残ることはできない。ここでようやく私はその違いに気付いたのである。
まず買ってきたのは日常会話の表現集であった。
数は300ぐらいだったと思う。
これを、例文をノートに写してひたすら音読していった。
また簡単な英語のエッセイの本、そして大学1年のときに買って”お蔵入り”していた中級レベルの英会話テキスト(テープ付き)も勉強した。
本文をしっかり音読すると同時に、
重要な表現をノートに書き出し、これもしっかり音読するようにした。
これらの勉強をひと通りこなすとなんとなく手応えが感じられ、
ようやくまともな英語力がつきはじめるのを実感した。
音読することに気付き、これを勉強の柱にしたのは正解である。
しかし、リスニングの重要性にはまだ気付いておらず、
非常に効率の悪い勉強をしていた。
...To be continued
2014年4月5日
◆ある本との出会い
こうして、4回生に入る手前ぐらいからようやく例文を音読によって暗記するというオーソドックスな方法がひとつの勉強スタイルとして固まってきた。しかし、このころはまだ目標も戦略も確たるものがなく、取りあえず手応えのある方法を続けてみようといった程度であった。
そんなとき、たまたま書店で私の運命を変えるある本に出会った。その本はとても変わっていた。従来の例文集のように日常表現を並べて「さあ覚えましょう」といった類のものではなく、英語と日本語を対比しその発想の違いを解説した本であった。ここに内容の1例をあげよう。
これじゃあラチがあかない。
This isn’t getting us anywhere.
私はたちまちこの本に魅せられた。ひとつには純粋に面白いと思った。上例のように、単純な英語で中身のあることが言えるというのが、何かとてもエキサイティングでスリリングなことに感じられたのである。もうひとつは、勉強方法がよくわからない以上ペラペラ度では当分ネイティブや海外経験の長い連中には勝てそうにない。しかし、英語と日本語の発想の違いという分野に踏み込めば勝機はある。そう計算したのである。この本との出会いによって初めて私の英語の勉強にしっかりとした方向性ができ、そして気合い”が入った。
比較文化論的な視点を持つことは勉強にプラスになる。ネイティブや海外経験に対抗しようとして中身に注意を向けたのも正しい判断である。
◆比較文化論にのめり込む
こうして方向性が定まると大きなはずみがつき、勉強がグングン前に進み出した。はじめの本を読み終わるとさっそく、同じ著者による口語英語の辞典と例文中心の比較文化論の本を買い求め、ノートに整理してせっせと暗記していった。最初の本と同様に2冊にもいわゆる難訳語がたくさん紹介されており、たいへん勉強になった。勉強方法はやはり音読であった。
ここでひとつ注意しておいていただきたいことは、「例文の暗記」といっても私は完全な暗記はしなかったということである。暗記してしまうほどには読み込んだが、決して完全に暗記はすることはなかった。「暗記してしまうほどに読む」というのと「完全に暗記する」というのとでは投下するエネルギーの量が全然違う。文を完全に暗記するには膨大なエネルギーが必要である。それを限られた数の表現に投下するぐらいなら、もっと多くの英文に触れるようにした方がプラスのはずだ、そう考えたのである。
これは今から考えても合理的なアプローチだと思う。しかし、初心者は、なるべく早く勉強の手応えをつかんで自信をつけた方がいいので、はじめの段階で取りあえず300文ぐらいの決まり文句を完全に暗唱した方がいい。
◆死刑宣告
さあ、こうしてようやく方向性と方法が定まり勉強が勢いよく前に進みだしたのだが、せっかく勉強がノリはじめた矢先、あろうことかまた私は奈落の底に突き落とされることになった。今度は英検1級に落ちたのである。それも1次試験で。少しは力もついてきたのでいけるだろうと思って受けたのだが、甘かった。
ちなみに、”不合格の判定”はBであった。判定Bといえばもう死刑宣告に近い。語彙、読解、リスニングなどあらゆる面で力が足りないということである。
2級に落ちたときのショックも大きかったが、自分の勉強に自信を持ちはじめていたこのときの衝撃はまたカクベツであった。しばらくの間は何が何だかわけがわからなかった。こういうのを放心状態というのであろう。あとで冷静になって考えてみると、表現はかなり高度なものを含めたくさん覚えていたが、4技能(読・書・聴・話)を合わせた総合力がまったく不足していた。語彙力も全然足りなかった。
それにしても判定Bとは・・・。1級には2次試験もある。それも恐怖のパブリック・スピーキングが。このままいくと、1次、2次を通過できる日はいったいいつになるのだろうか。そのときの私にはその日の来るのが遠い将来のことのように思われた。
このころの私は、片方で例文の暗記という実戦的な勉強はしていたものの、もう一方であまりにも日本語と英語の対比研究に心を奪われ過ぎた。つまり、”分析”ばかりしていたのである。これではホンモノの英語力は身につかない。言葉を身につけるには、その言葉を丸ごと吸収するという姿勢がもっとも大切である。(ただし、このとき身につけた”英語を見る目”は、あとで非常に役立った)
...To be continued