私の英語学習史(1)
2014年4月7日
◆小、中学校時代
小学校時代、私は近所の英会話学校へ1年ほど通ったことがあった。
その当時はこれはたいへん ”モダン” なことであったが、
残念ながら効果はほとんどなかったように思う。
中学校時代は、学校や塾で教えられる通りに勉強しただけであった。
素直に勉強していたので成績は悪くなかったが、英語が一種のパズルのように感じられ、
コミュニケーションの手段という認識はまったくなかった。
◆高校時代
悪夢の時代。
英文法がやたらややこしくなるし、覚えるべき単語、イディオムの量も一気に増える。
私が通った学校は進学校であったが、べつに先生が優れた勉強方法を教えてくれるわけでもなく、
テストばかり押しつけられて途方にくれた。
心の中で古文と英語の勉強が妙に重なった。
こんなに込み入った文法を学ばないと本当に古文や英語は身につかないのだろうかと真剣に悩んだ。
読むことは不完全ながらもなんとかできたが、どうしても ”暗記” というものができず、
「覚えないといけない、覚えないといけない」という焦燥感が「覚えられない!覚えられない!」という強迫観念に変わり、
最後にはもう覚えようとするだけで頭が「金縛り」にあったように動かなくなってしまった。
正しい記憶方法を知らなかったのだから覚えられないのは当然なのだが、そのころはそんなことがわかるはずもなく、
ただニガ~い”敗北感”だけが残った。
ヤル気があるのにデキナイというのはもう想像を絶する苦痛で、これが学習法研究にたいする”執念の鬼火”となる。
◆大学1~2回生
高校時代にイヤというほど苦渋をなめたのに(いや、なめたからこそか?)、どうしても実用英語が気になり、
1回生のころから少しずつ英会話学校に通いだす。
このときの会話体験は強烈だった。
とにかく、簡単な自己紹介さえ満足にできない。
「I born….いやbe bornだからI am bornか。
いやこれは過去形にしないといけないからwas bornだ」などと半分ひとりごとみたいに言いながらゴチャゴチャやって、
頭の中はもう完全にパニック状態。
不気味なのは、それだけ必死になっていたのに、顔だけはニタニタ笑っていたということ。顔の上に”笑う人面疸”ができた。
その当時の私の会話力というのはこの程度、
つまり、ほとんどひと言も話せなかったのである。
では、読む方はどうであったかというと、これについてはさすが受験時代の厳しい訓練のおかげか、
一応タイムなどの国際誌を読むことができた。・・・ということであれば多少は格好がつくのだが、
実際はてんで歯が立たなかった。
”日本人は読む方は得意”のハズだったのだが、
実際には知らない単語が1行に2,3語も出てくるばかりか、いくら辞書で引いても理解できない言い回しまでもが登場し、
3分の1ページぐらいで見事に“撃沈”した。
これ以外にも、会話本やキャッチセールの教材まで買い込んだが、すべて途中で挫折。どれもモノにならなかった。
まったく、このころは高校時代の悪夢の続きを見ているようでロクな経験がない。
正直いって情けなかったが、これで自分の”英語人生”が終わりであるとだけは思いたくなかった。
このころの”挫折の山”を振り返って思うことは、
①どういうものを、
②どのように
③どれだけやれば
④どの程度のレベルに行ける
という具体的な指標がなかったために、
なかなか自分のやっている勉強に自信が持てなかったことがその根本的な原因であったと思う。
つまり、勉強には目標、戦略、戦術の3要素が必要なのだ。これがないと、どうしても方向性を見失ってしまう。
...To be continued