英語の学習法と文法(1) 

2014年8月12日

英語の学習法は文法を取り入れるかどうかの狭間で、もう100年以上にもわたって揺れ動いている。

つまり、「文法を取り入れるべきだ」、「取り入れるべきではない」という論争が延々と繰り返されてきたのである。

 

この論争は、20世紀末にコミュニカティブ・アプローチの手法が広まるにしたがって、

決着がついたかのように思われた。コミュニカティブ・アプローチというのは、種々のタスク(活動)を通じて、

英語を文字通りコミュニケーションの手段として使用する中で「体得」させようという考え方で、文法は教えない。

 

20世紀末には、そこにフォーカス・オン・フォームという考え方が付加され、

コミュニカティブ・アプローチはいよいよ究極の言語学習法として完成されたかに思われた。

 

ところが、21世紀に入ると、アメリカにおいて、文法を教えた生徒の方が

コミュニカティブ・アプローチで教えた生徒よりも語学力が伸びやすいという報告が出始めたのである。

 

またもや振り子が、反対側に振れ始めたわけだ。

 

 

私自身は、「コミュニカティブ・アプローチ」か「文法重視の教え方」かと問われれば、

前者の方がはるかに優れていると答える。

 

 

文法重視の教え方の根底には、「①言葉にはルールがある。②だからルールについて学び、

③それを使えるように練習すれば、言葉は使えるようになる」という考え方があるが、

これは直列処理の発想で、一見正しいように見えてじつは誤っているからである。

 

人間の脳は、直列処理など行っていない。

それは、脳の解剖学的な構造、分子生物学的な仕組みを見るとすぐに分かる事である。

 

コンピュータの専門家であれば、脳の“回路”について詳しく知ると、卒倒するであろう。

それほど脳というのは複雑奇怪な“計算機”なのだ。

 

脳は並列分散処理を行っている。

 

並列分散処理の考え方が非常に興味深く、かつ重要な意味合いを持つにも関わらず、

未だにあまり知られていないのは、直列処理に比べ、その原理があまりにも複雑で

説明し難いことが一因であると思われる。

 

「1+1」が「1.7」になったり、「2.2」になったりするのが並列分散処理の世界である。

しかし、だからこそ、直列処理の発想では想像すらできないような作業を簡単にやってのけることができる。

 

脳が、言葉を習得し、使用する過程というのはまさしくこれに当たる。

そこに(旧来の)文法的な指導、つまり直列処理的な発想を持ち込むというのは、破壊的な行為といえる。

 

実際、私はこの目で、破壊されかけた生徒たちをたくさん見てきた。

また、じつは、私自身もそのうちの一人である。