私の英語学習史(5)

2014年4月3日

◆パワー全開

  この時期にはようやくそれまでの勉強の成果が出始め、英語力が飛躍的に伸びた。この期間の終わりにはTOEIC換算で800点に迫る力がついていた。

  まず、資格試験についていうと、4回生のときに失敗した英検1級に2年がかりで合格した。それも1次、2次を一気に突破している。まったく、2年前の悲劇がウソのような素晴らしい健闘ぶりで、自分でも別人のような気がした。複数のテキストを使って大量のリスニング/音読練習をしたことがモロに効いたのである。

   とくに、2次のパブリック・スピーキング・テストでは、海外生活3~5年のキャリアを持つ”帰国組”をばったばったと薙ぎ倒し、まるで名刀村正を振り回しているような気分であった。とにかくもう徹底的に音読練習していたので、手で口を押さえていないと試験のはじまる前から口が勝手にしゃべり出しそうなぐらいであった。

 

◆パブリック・スピーキング・テスト

ここで、パブリック・スピーキング・テストの受験体験について少しお話しておこう。

  まず、試験会場のセッティングをいうと、大きな教室を使った会場の奥に長テーブルがあって、そこにネイティブと日本人の審査員が座っていた(確か2名か3名だったと思う)。そして、それを囲むようにしてコの字形に机が並べられ、総勢20名前後の受験者が座るのである。私は何と一番最後の席であった。はじめはイヤ~な気がしたが、結果的にはこれがよかった。

  何しろみんな異様に緊張している。スピーチの規定時間は2分であるが、いざ試験が始まってみると、ほんの30秒ぐらいで“絶句”する人や、話の収拾がつかなくなって規定時間を越えても延々としゃべる人が続出した。

   私もはじめは気分が悪くなるぐらい緊張していたが、このような“先例”を見ているうちにだんだん余裕がでてきて、自分の番が回ってきたときにはほどよい緊張状態になっていた。英検のパブリック・スピーチではあらかじめスピーチの題が2つ封筒に入れられて手渡され、受験者はそのどちらかを選ぶのであるが、私の封筒を開けてみると、ひとつの題は「交通遺児に対する補償制度について述べよ」というもので、もうひとつは「将来つきたい職業について述べよ」というものだった。もちろん、迷わず後者を選んだ。

 

◆2分間の戦い

  その当時から私は受験英語と実用英語のギャップについて興味を持っていて、将来はこの両者の“止揚”をテーマとして教育関係の仕事をしたいと願っていたので、待ってましたというばかりに熱弁をふるった。もう完全になりきっていた。テストを受けているという意識などどこかへブッ飛んでしまって、ずうずうしくもまるで自分が講演を頼まれたような気持ちになり、「bridge the gap」とか「missing link」とかいった言葉を使って2分間目一杯しゃべりまくったのである。もちろんスピーチのあとの質疑にも的確に答えた。

   すべてが終わったとき、「通った」という手応えを感じた。今振り返ってみてもこのときのスピーチは出色の出来だったと思う。

 

...To be continued