“受動態”のワナ
2014年8月1日
これまでの英文法では、解説や練習の方法がいびつなケースが数多くあります。
その代表例が“受動態”です。
これは、そもそもネーミングがイケていません。
高校時代、“態とは・・”などといわれて、「なんじゃ、そりゃ?」と思ったことを今でも鮮明に覚えています。
最近は流石にこのような古臭い言い方はされなくなってきているようですが、
せめて「受身表現」、または「受身の言い方」ぐらいにして欲しいですね。
このように、受動態と言うのは、すでにネーミングで転んでいるわけですが、さらに悪いのはその訓練方法なのです。
――― そう、「態の変換」です。
これはもう「終わっている」としか言いようがありません。
「態の変換」というのは、ただひたすらシンドイだけの、意味のない演習だからです。
たとえば、私が外国人に、「『太郎がそのアプリを作りました』の受身表現は、
『そのアプリは太郎によって作られました』となります」といって、
例の“たすき掛け”の図を描き、「主語が目的語になって・・・」などと教えはじめると、
あなたはいったいどう思うでしょうか?
――― 想像するだけでも“気持ちの悪い教え方”です。
なぜ私たちがこのような「変換」を気持ち悪いと感じるのかというと、
それは、私たちにとっては、普通の文と受身の文というのは、はじめからまったく別の文で、
いちいち頭の中で変換などしていないからなのです。
“受動態”の問題はまだあります。
それは「受動態の意味」について、
つまり、「能動態」と「受動態」の意味がどう違うかという点についての解説です。
この点については、色々な文法書になんだかんだと説明されていますが、
これらはすべて「まったく不要」です。
なぜなら、受身の意味と言うのは日本語にも存在しているため、
そのような説明をしなくとも、誰でも理解できるからです。
もし、日本語と英語で「受身」に違いがあるとしたら、
それは「いつ」「どんな場面」で使用されるかという点でしょう。
たとえば、日本語では、よく「~に驚いた」と表現を使いますが、
英語ではこのようなときに受身表現を使うのが普通です。
つまり、“I was surprised to (またはthat)・・・.”
「驚かされた」と言います。
このような点について説明することは多少は有益でしょう。
しかし、受身表現の形さえ分かっていれば、インプットやアウトプットをする中で、その感覚は自然に分かるようになります。
また、そのようにして自然に“体得”したような表現でないと、結局は使えないのです。
私の提唱するインターフェイスグラマー(文法)では、受身の説明や態の変換などは一切行いません。
それでも、生徒たちは確実に英文を把握し、受身を自由に使えるようになります。
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