科学誌「ネイチャー」の“驚きの英語”

2014年7月2日

小保方さんがSTAP細胞を投稿した科学雑誌、ネイチャーの英語はどれほど高度なのだろうか?

私はある大学の工学研究科で専門分野の英語
ESP (English for Specific Purposes)を教えていたことがある。

分野はナノフォトニクス(nanophotonics)だった。

ナノフォトニクスというのは、ナノメートル、
つまり原子レベルの世界での光(photon)の性質を研究・応用する学問で、
20世紀末から急速に発達してきた分野である。

私たちは、光はどんどんと直進していくものだと思っている。

実際、私もそう思っていた。

しかし、教材を作るために文献を読み始めて、
自分の理解が完全に「時代遅れ」であることを知った。

ナノレベルでは、「近接場光」(evanescent light)という光があって、
それは直進しない。
つまり、「飛んでいかない光」なのである。

これには強い衝撃を受けた。
まさしく、浦島太郎のような気分であった。

しかし、「英語の先生」として、私が驚いたのは、
実ははこの“新発見”ではなかった。

私を驚愕させたのは、世界的な科学誌「ネイチャー」(Nature)の英語であった。

それがどんな英語だったのか?
――― ひと言でいうと、「下手くそ」だったのである。

こんなことを言ってしまうと、ネイチャーには論文を投稿できなくなるかも知れないが、
どのみち私が科学論文を投稿できる可能性は“ゼロ”に近いので遠慮なく書かせてもらった。

ネイチャーといえば、世界でトップクラスの科学誌で、
投稿される論文はすべて世界の俊英たちによって研究・執筆され、
さらに厳しい審査(査読)を通過したものばかりである。

――― だから、私は思い込んでいた。
当然、その英文は、無駄というものが一切ない、物凄い英文だろうと。

ところが、実際にフタを開けてみると、なんと、驚いたことに、
その英文は書いた人の出身国が分かるぐらいクセのあるものだった。

しばらくは、頭が混乱して「?」マークが浮かんでは消えるような状態だった。
それほど衝撃は大きかった。
しかし、数日たってようやく何が起こっているかを理解でき始めたのである。

実は、その2年ほど前に、私は大学院にいて、
応用言語学(Applied Linguistics)を学んでいたが、
そのとき「国際英語」(International English)という言葉を耳にした。

「国際英語」というのは、簡単にいうと、英語はすでに世界中に広がっており、
それぞれの国の人によって様々な使われ方をしているので、
それらのひとつひとつを「正当な英語」(authentic English)として認めようという考え方である。

日本語に当てはめて考えるなら、「標準語」(standard Japanese)以外の日本語も、
すべて標準語と同様に“正当なる日本語”だと認めよう、ということになる。

――― このように説明すると、その大胆さがお分かりなると思う。

正直なところ、私はこの考え方があまりしっくりこなかった。
今でも少々抵抗感がある。
しかし、厳然たる事実として、そのとき(2000年ごろ)、
世界的な権威をもつ科学誌がすでに「国際英語」を広く認めていたのである。

「文学」ではなく「科学」であったという点も大きいのだろうが、
グローバル化の“パワー爆裂”というか、これには絶句するしかなかった。

――― しかし、この話にはオチがある。

それは・・・

なんと、日本人の研究者の英語は「国際英語」の仲間にも
入れてもらえないレベルだということが判明してしまったのだ。

厳しい受験勉強で鍛錬し、さらに研究者として研鑽を積んで、
優れた論文を書き上げても、そのままでは審査にもかけてもらえない。
――― これが実態である。

実際のところ、日本人の英語にかんしては、
「日本人の研究者は必ずネイティブスピーカーの校閲(proofreading)を受けて下さい」という
“お願い”がネイチャーに記載されたという都市伝説まである始末。

流石に近年は、本格的な海外経験者も増えて事情は変わってきているだろうが、
日本の中・高・大の英語教育の実情をつぶさに知っている者としては、
「果たして、どうなのだろうか・・」と思わずにはいられない。